「僕は誠実主義者ではあったけれども、およそ誠実ではなかった。僕は家庭を作りながら家庭に責任はもたず、死者を追悼しながら死者の名をかたって自分の名誉をえようとしていた。どんな大儀名分のためにも人を犠牲にしてはならぬと主張しながら、そう主張している自分は、自分が非難していること当のそのことをぬけぬけとやっていた。…」
「そんなことはどうでもいいのよ」
「僕は恥ずかしかったのだ。自分が落ちぶれて、こんな惨めったらしい恰好をしていることが恥ずかしかった。いや、そうじゃない。…僕がなぜあんなに廃墟にこだわり、家の下敷きになって呻いていた人々の形相や、まだ息のある人々を荼毘に付したその焔と煙にこだわったのか……それは罪の意識ではない。二度とあってはならない修羅から逃れたい祈願でもなかった。本当はね、世界全体があの酸鼻、あの破滅をひとしく経験すべきだという呪いだったのだ。ぼくは世界全体の惨めったらしい破局を望んでいたんだ。…東京に滞在していた三十日間、出版社の編集責任者が、一日も早く僕の原稿を読もうとしないことに不満だった。これほど決定的なこと、これほど大切なことから、なぜ人々は目をそらすのかと僕は憤った。ある時は目の前で無理やりに原稿の数章を読ませながら、その人が眉を顰め、ほとんど顔をそむけるようにする反応に苛らだった。…だが考えてみれば、僅か三十数人の市井の人々の伝記ながら、その人々が、昭和二十年の八日六日、午前八時十五分……その同じ時刻に、同じ都市で滅びたことを、これでもか、これでもかと押しだした文章の中に、平和を望むのではなく、すべての人間が、すべての犬や猫が、このように滅びればいいという無意識の呪い、もっとも狡猾なニヒリズムがひそんでいることを、経験深い編集者は見抜いたのに違いないのだ。……私が渇望していたこと、それはただ、人々の生活と幸福の崩れ去った廃墟に、荘厳な虚妄の観念を築きたかっただけなのだ。背景は悲惨であればあるほどよかった。…」可哀そうに、この人は疲れきっている、と千津子は思った。…どんな男でも冷飯ばかり三ヶ月も続けて食わされれば虚無主義者になるものだ。」
高橋 和巳「憂鬱なる党派」から
ところで私事にわたって恐縮ですが(今更だけど)、私のいでおろぎーに反する金の出ない仕事をちょっとやってました。その仕事は人の不幸を糧にして、前向きを口する集団、私がうけもったのは書く作業です。人間、人間。ひゅーまにすと。勝手なロンリをほざく酔漢ども。
- 2008/06/12(木) 18:43:43|
- 虚無思想とは
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