やっとで一時的に地獄から逃れられました。今日から、中断していたマンガを頑張っていきます。
最近はマンガ読んでも音楽聴いても本読んでも楽しくありません。
- 2008/01/28(月) 11:24:26|
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夢幻堂さん、走馬燈用のページありがとうございます。
http://www.mugendo-web.com/soumato.html幻燈8号が発行されたそうです。
つげ忠男さんの新作が出るらしいので見逃せません。
ところで、家のパソコンでもなんとか一部作れました。カラーページがかなり色薄かったりするんですが、それ以外では読むのに問題ないと思います。
それでも良いという奇特な方は以下のアドレスまで 送り先の郵便番号、住所、名前、を記入してメールお願いします。
夜業タダシ版「走馬燈」240円
inngoudrgbaik@hotmail.co.jp
恐れ多いのですが夜業タダシ版は一冊しか作ってないので先着一名の方にだけです。もし先着でなく注文した方もし、いればすいません。夜業タダシ版じゃなくてもどっちでもいいしちょっとぐらい発送遅くてもいいよ という方はメールに 予約でも可 と書いておいてください。
夜業タダシ版には直筆の絵を付けようと思います。いらない方は「直筆の絵はいらない」と書いて下さい。
メールが来ましたら折り返し、郵便振替の番号などを書いたメール送ります。前払いでお願いします。送料はサービスします。
近いうちに、模索舎のほうでも置いてもらえるそうです。
- 2008/01/21(月) 13:34:15|
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ミルキーウウェイでドリンクバーを注文しました。ドリンクバーに行ってコーラを入れようと思ったら、修理してました。コーラが溢れて周辺がビタビタになってたんですが、店員が四苦八苦して色々やてました。しょうがないからコーヒを入れましてた。
コーヒーを三杯くらい飲んで、しばらくしたら、ようやく修理していた店員が居なくなったので直ったのかと思ったら、出ませんでした。しょうがなくコーヒーをまた飲んでました。途中から気持ち悪くなり、(斉藤さんと話してたのですが)、ウワゴトになっていきました。失礼なことをしてしまいました。
恐るべしドリンクバー。そういえば、中学世のときに友達とドリンクバーで飲みまくって気持ち悪くなった夏の思い出を思い出した。学習能力がねえ。
上の画像はラクガキです。デッサンのことを考えると頭痛がします。パースを考えると胃が痛みます。マンガの構成を考えると吐き気がします。すいません、全部嘘です。マンガを描いてるときはココアを飲んでます。ココアがないときは麦茶を飲んでます。一回麦茶のなかに、インク箱と間違って付けペンを入れたことがあります。
ところで兄がつげ忠男の「二人三脚」の主人公と同じく、潔癖症です。そういうわけで、兄が風呂に入った後に家族が入ります。
たまに兄が用事があって十一時ころに入るときの茶の間には殺気がこもってます。
たまに障子をぼ〜っと見ていると障子に頭を突っ込んで叫びたくなる衝動に駆られます。しかし、障子は既にぼろぼろぼろです。
チ〜ン。なんみょうほうれんなむあみだぶつ。
- 2008/01/15(火) 23:10:58|
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皆さん!!文章でもマンガでも投稿を大募集します!!あなたの作品によって「走馬燈」が変わるかもしれません!!
なにが起こるかわからない混沌の波を自ら作りましょう!!
ところで暗い日記とこうゆう記事が同居してるのはどうかと思うので、走馬燈用のブログを作ろうかと思ってます。ホームページ作りもしょうかと思ってますが、それは新しいパソコン買ってから、だから、一年後あたりになります。
- 2008/01/14(月) 12:38:58|
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またもや昼夜逆転してのっそり夜中に起きる。時計の針は12時を指していた。
二日前あたりまで、時計の電池が切れてそのまま一週間くらい、時計の針は七時半でずっと止まっていた。
それまでずっと時間を確かめるときには、その時計を見る習慣を持っていため、「えっ、七時半?!」と驚いてから、すぐに電池が切れていると気づくたびに苛立ったが、どういうわけか一週間の間たった一本の単三電池を取り替えるつもりにならなかった。
ところで谷崎 潤一郎の小説で珍しく私小説的な懺悔のような小説を読んだことがあったが、そのなかで若い頃の谷崎らしき主人公が夜中に自家の酒をコソコソ台所を物色していると、病気で臥した妹が「大きなネズミがいる」とかいう場面があったような気がする。うろ覚えだけど。
その場面を夜中に台所を物色しながら思い出す。ところで、この台所の上に二階、小さい部屋があるのだが(ちなみに、この部屋はドアがある側面、天井以外はすべて窓である。しかもそのなかの一つの窓の前に母親が嫁入り時に持ち込んだデケエタンスが二つ置かれているので、それの隙間から日光が透けて見えるのだ。)
その部屋の物音がそのまま台所に筒抜けだ。台所の音も筒抜けなわけで、二階に寝てる親を寝息を聞きながらコーヒーを入れたり、なんかの小魚の唐揚げを電子レンジで暖めたりをできるだけそっとする。でもシンとしてる深夜にはカチャカチャとした食器の音はでかく響き渡るし冷蔵庫の中の蒲鉾を発見してゴソゴソしてたら、電子レンジが「ピー、ピー、ピー」とでかく鳴ってマズッたと思って、二階に耳を傾けると、やっぱり寝息が聞こえなくなった。
ここまでくると、開き直って気をつかわなくなる。気を使うと逆にテーブルの角にブツかって入れ物を落としたりする。
部屋に入ってスターリンの「フィッシュ・イン」を聞く。その中に「バイバイ・ニーチェ」という曲があって歌詞が面白い。ずっと「バイバイ」と連呼して「・・・(失念)だけど、また遊ぼう〜」というだけの歌詞。
自分は尊敬しているというか、影響を受けた本なり音楽なりなんなりの表現者を、自分のなかでヒーローになった人物をわざと扱下ろすようなことをしてしまうことがある。ほとんどこれといった考えもなしに。
コーヒーを飲みながら、カーテンを開けると吹雪だった。ところで、たまに人と話すと相手と自分の話しがうまく噛み合わないときがよくある。というのも、自分が説明不足に、なんの考えもなしに思いついたことをしゃべることに、多分すべての原因はある。しかも思いついたことと喋った内容にかなりの相違がある。
それとはまた違う話だが、事務的な取引的な話しが苦手というか今までまったく興味がなかったせいか(話すなんて取引だけど)
その内容を混乱して喋りたてて、相手を混乱させ、沈黙に陥ることがよくある。
多分、このブログを読んでいる人のなかには心当たりがある人もいると思う。すいません。
でも最近にはこの沈黙にも慣れてきた。小さいときからこんなことを繰り返してきてるんだからいい加減慣れなければ。慣れたといっても今でも頭に血が昇って冷や汗をかくのだが。
でコーヒーを飲みながら、何気なくドストエフスキーの「悪霊」が読みかけだったので、ちょっとだけ読もうと開いて気づいたら夜も明けて9時だった。ほんとうに貪るように読んだ。多分テスト前のプレッシャーのためだ。
ところで、日記からまた逸脱したことを思いつきで書こう。自分の日記は本当はこれだけで済ませられる
夜、十二時に起きて、コーヒー飲んで魚の唐揚げ食いながらドストエフスキーをずっと読んでいた。
思いついたことは、どうしてたった5行くらいで済ませられるようなことを一々、みみっちく書き立てるのか。これは結構な数の本の読後感としてもある。
おそらく自分の推論からすれば、読者に伝えたいため。というつまらない答えだ。
つまり一つのことを押し通すために、姿勢が、理屈がならべたてられる。
その誰も見ていないようなその姿勢を縷々と並べたてる文章ほどつまらないものはない。
結局あなたはこう言いたいのですね。 医者はどこだ!! とか 結局は女とやりたいだけなんだろ。
と言いたくなるのだ。読者(自分)は散々苦労して書かれた労作を、一つのことを言いたいために百いう本を、百を一に向かわせて、「結局こういうこと言いたいために、こんな生気のないダラダラしたこと書いてんのか。それで俺はダラダラ読んで時間を浪費してたのか」
と怠惰な気分になってくる。
一方で読者が読者だけであるはずもなく、一転して書く立場になるとどうだ!テメエのいったことは結局しょうもないことで・・・・・と煽る。か、煽る立場を有利にするためにまたダラダラと自分の「姿勢」を並べ立てる。
どんなに平穏な言葉でもこの定式があるのには変わりはない。
で、その姿勢とやらが確かのものだと誰からも認められ住民票が作られたタマちゃんさながら、他の姿勢が現れだすや否や、自分の頭脳警察が許せぬと言わんばかりに姿勢をならべたてる。
その姿勢とはなんのための姿勢なのか。語る者と語られる者に違いがあるのは誰の目からも明白だし、語られる者の証言でさえ語られた者を語ることは決してなく、時には嘘をつくこともある可能性があるということ。
- 2008/01/13(日) 15:56:34|
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いつも、深夜、起きているとねずみが屋根裏を「とことことこ・・・」と走り回ったり、なんかポリポリ齧ったりした音が聞こえたりした。
それも昔の話で今はもうその音はしない。
埴谷 雄高「死霊」に天井の上の蝙蝠とコツコツしあう男の描写がある。
これは理想の関係性の暗喩なのではないかと思ってたりしたんだけど、自分はネズミを追っかけまわしたり、ネズミとりから匂ってくる死臭のしばらく気づかず嗅いでいたこともある。
ハムスターとりはなくてねずみとりが売られてる。
どうしようもないから当たりまえに口を噤んで、残酷さはお笑いでしかしめしあわない、お笑いはのどに引っかかった笑いとばせぬ笑いだ。ほんとうに楽しいときは笑う必要なんてない。
- 2008/01/09(水) 12:33:19|
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何故なら、冬だから!!
徹夜明けの目頭はヒーロー。 朝焼け小焼けの滑りまくりカントリーコンクリロードでサイクリンギング、案の定すってんころりであしもげたとまではいかなくとも、捻挫したんじゃないかと思うぐらいの痛さ。
それよりも悲しいのは、だ〜れも人っ子一人いない四方八方、山に囲まれた遠近法の道路の地面に一人転げていたことよ。転んだ瞬間は「うがっ!」とか言っちゃって。「く〜っ」とか言って、
何故、こんな苦労をせねばならんのか!!自販機でコーヒを買おうと思っただけだよ。商業無常の金。
さて!! 久しぶりになんか文章描こうと思い立って、「劇画論ノート」と四色ペンの赤色で題している、我が大学ノート、その中に土星さんみたいな文字で書いてある恥ずかしい文章を発見しました。推測するに多分中学3年頃あたりのブツです。なにせ、土星さんですから判読するのが困難なんですが、その中野、一部を御見せしましょう。
「・・・だから、反抗すると言っても誰にするかが問題だ。親。学校。友達。自分。既成概念。パンク。・・・・・,。反抗を美徳とする場合、反抗することに反抗しなければならない。否定への否定。それでも物足りない。反抗に対する反抗に対する・・・・・・
妄想ではそういうものだが、そのように妄想している者は瞬間、瞬間に限られたことしか考えられないし、行動できない。
つまり、絶対とは絶対はなく常に移り変わるという、パラドクスなのである。そのことに対する、肯定否定以前の絶対的肯定が意味するのは逆説的にも絶対全否定なのである。
立てられた土管の中でフラフープ運動
しかし、こんなことはどうでもいいことだ。 」
逆説が好きなんですね〜。自分がいかに進展していないかが解る。
他には・・・
「涅槃やラジオ頭やリンゴなんて嫌いだ。自分の問題を、被害者ぶってネコの盛ったような歌声、かなきり声で叫ばれるのは適わない。あの音楽は自殺のためにあるのではなく、自分の認識を被害者の立場に仕立てこむための演奏と詩に違いない。あれを聞いてる人々は演歌なんかバカにできない。古臭いロックの象も嫌いだ!!」
いや〜、よっぽど嫌いだったんですね。今は別にどうでもいいんですが。
そういえば、兄は「くるり」が大嫌いなんですよね。自分は聞いたこともないし、興味もないんでなんですが、何回「くるり」に対しての誹謗を聞かされたことか・・・。耳にタコができるくらいなのでここに兄の大まかな言い分を載せます。
まず「自然体なのを逆に売りにしているような気がする」とか「歌詞がむかつく」とか。
言い分もくそもないですが、どうなんですかね?
ところで、ミスター子供の曲がよくブックオフなんかでかかってるんですが聞き分けがつきません。全部、同じ曲にしか聞こえません。全部同じ曲なんですか?いや、興味ない人にとっては音楽なんて聞き分けつかないモンですが、やっぱり歌詞がヒドイ!!他のJポップスとかもそうなんですけど、起承転結みたいのがあるんですよ。大体
「 倦怠的な日常、おもしろくない日常の描写→聞いてる人を責める。説教 →説得に廻る。→これからどうなるか解んないけど元気にやろうぜ!」
こんなもん毎日聞いてたら、病気になりますよ。だって上がったり下がったりの躁鬱じゃないですか。
しかし、この躁鬱歌謡曲の根は深い。何故、こんな嘘ッパチの歌が嘘だと解ってても聞きたくなるのか。
- 2008/01/04(金) 08:41:02|
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