小学4、5年生の頃、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が好きだった僕は、塗料までしていた子供でした。
しかし、生まれつきガサツで飽きっぽい私は綺麗に仕上げたりすることは、まずなく、作ったり塗ること自体に快楽を見出していたので、完成は二の次でした。
そういうわけで、塗料にはシンナーが含まれています。
プラモデルを作っている自分の部屋はシンナーの気持ちのよい臭いで充満していました。毎日、塗料遊びをしていたために、親は心配して「今度、塗料用のマスク買ってきなさい!」と言い、お金を渡しました。そのお金でスプレーを買ったのです。
私の部屋の和風洋風折衷のドアはそのスプレーで真っ黒に塗りつぶされました。
「タダシー、ご飯だよー!」ガチャッ「これどうしたの!!!」「.......」「このバカッ!!それでマスクのお金使っちゃたわけ?!まったく信じられない!!もうホントに.....」ドタドタドタ....「お父さん!!タダシがね...」
その部屋の真っ黒に塗りつぶされたドアに今度は白の塗料+筆で絵を描くことに夢中になりました。真っ黒の下地にクッキリとした白色が浮かび上がるのには恍惚を覚えました。絵といえば、意味の解らない物体を描いていたと思います。とにかく描くこと自体が面白いので完成はないのです。ドアが白い絵で埋め尽くされた頃には、またその上に黒いスプレーで絵を描いていきました。そして黒一色になってきたころには、また白筆で....。
その遊びはスプレー缶が切れるまで続いたのです。
もうプラモデルでなく音楽のことだけだった中学生の頃、友達に「小学5年あたりの頃さあ、......とかやって遊んでたよな」とかよく言われるのですが(中学生には案外世間話以外、話題がありません)まったくその覚えがないのです。
- 2007/10/21(日) 19:20:43|
- 日記
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夢幻堂掲示板のほうでも宣伝させて頂きましたが、12月中旬に出す予定です。早くスキャナー買ってこねば....。
まったく関係ないですが、茶の間で今hideが誰かの手によって爆音で流されてアコギを弾く音と歌声が聞こえています。けものがれナントカっていう映画の金属バッドで家をぶち壊すシーンを想起します。しないけど。
「月と犬」を読んだんですが、本を作る参考にさせてもらいました。
高野さんのインタビューは今後も必見です。
内容は一見リラックスした内容ですが、どの文章も芯はしっかりとしてます。
あと最近は短歌に興味持ってきているので三宅政吉さんの図書館読書日記は面白かったです。表紙に高橋新吉の短歌が載ってるのもいいです。
- 2007/10/18(木) 18:19:14|
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という漫画家をご存知の方は居るだろうか?
ガロ72年1号に掲載された入選作「マー坊」は兄弟喧嘩の話だ。その他の作品はない。これのみである。
兄弟喧嘩といっても、ほんとうに「よくあるよなぁ〜」と思わせるだけの、ただの兄弟喧嘩の話である。
だが私はこの作品を見たとき、びっくりしたのである。というより絵を見たときびっくりしたのである。
多分、72年一月といえばカムイ伝が数ヶ月前に終わって、時代の空気が変わり始めた時期であったと思う。そのせいなのかよくわからないが、なんとも判断を付けかねる作品だ。まあ、入選作ってそうゆうのが多いのかもしれないけども、「マー坊」という作品覚えてる人めっちぁ少ないだろうから、丸っきり絵柄をパクろうと思ったわけなのである。
ある。
- 2007/10/12(金) 23:01:11|
- ガロ
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線を「ビッ!」と引き、尚且つ下書きどおりに書くには線の終着点を見て引けばいいということに昨日、気が付いた。遅すぎる...。子供の頃から絵を書くのは好きであったが、小さく細かく書いてばかりいたので、大きい絵を描くのには未だに戸惑う。
余談:数学のレポートが再提出で戻ってきた。
- 2007/10/06(土) 14:16:36|
- 劇画修行
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スネークが通算5回、家に出没しました。どれもまだ子供ですが、「シャー!!」と言って口を大きく開け威嚇する様は、正にスネーク。柄からして青大将だと思うんですけどね。マムシだったりしたら、怖いわぁ〜。
ところで!!夢幻堂の掲示板などでも告知されていましたが、今週の土曜にNHK、BSで日めくりタイムトラベルとかいうのが放送されます........。NHKといえば、いつだったか寺山修司と団塊の世代を絡めた特集みたいなのをやっておりました。で、自分はそのセンスの悪さに仰け反ったわけです。とくに終わり方が凄かったです。あと、あのナレーターっていうのか、その人の声が滅茶苦茶聞きずらかった。これは実際見てもらわないと解んないんですが...。こんな特集組むなら一つ丸々寺山修司ドラマとか放送したほうがイイのに。
余談ですが、寺山修司を知った最初の一年間くらいは寺島修司と読んでました(何故?)。安部慎一をしばらくヤスベシンイチと読んでました。バッド・レリジョンをバッド・レリギオンと読んでました。ニューハーフとハーフの意味をつい最近まで取り違えてました。
- 2007/10/05(金) 11:48:58|
- ガロ
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この前のうらたさんの個展で、印象に残ったのはうらたさんが学生時代に描いたらしい(うろ覚えで、すいません)友達をモデルにした丁寧な鉛筆画だ。他の絵もどれも清清しく、全然、似ていないはずなんだけど、どことなく東郷青児を想起させるものを感じた。
何故、その鉛筆画が印象に残ったかというと、最近自分も鉛筆画というかもっと荒いデッサンに凝ってるからだ。何故、デッサンに凝ってるかというと、漫画を描いてみて、あまりにも絵の基礎がなってなく、下手だったからだ。それからというもの、風景や家族を暇を見つけてはデッサンしている。
で、デッサンをしていると色々な疑問が一気に沸いてきて困る。なんで、俺は絵を描いてるのか⇒何故、自分は絵を描いてることに疑問を感じるのか?⇒何故、疑問を感じるのか?⇒疑問を感じるとすれば、それを理解してないからで、理解したいからだ。⇒何故理解しようとするのか⇒解らないと不安だから⇒不安なのはそれがなにか危害を加えてくるかもしれないから⇒ということは解るということは相手を自分の了解内で決め付ける行為なのではないか⇒しかし他者も同じ人間であるから相手の決めつけがある。⇒その相互の決め付けでの前提的な了解から導かれる妥協⇒その妥協によって見せかけの安定が保たれている................。
うらたさんの絵には、現実を見極めようとする欲求(普遍的な現実を相手に要請するというのは事実がどうであれ、強制の形をとる)を感じられない。それよりも、こうあってほしいという願いが感じられる。決して、こうあるべきだ。とか、こうあったのだという強制、断定の形をとらない。それはささやかで小さな願いであるゆえに強靭なものであると思う。
- 2007/10/03(水) 15:00:37|
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