1:音楽というのは究極的に宗教性にぶち当たると思うね。
2:究極に持っていかなくてもいいんじゃないの?
1:まぁ、そうなんだけど...尺八とか、ガムランとかってテクノっぽくね?
2:ああー
1:あういう、純粋な音楽に惹かれるようになってきたんだよ。前はパンクとかハードコアとか聴いてたけど。
2:なに!!パンクとかハードコアをバカにする気か!?
1:いや、そうじゃないけど、結局のところ仲間内だけでやってるようにしか思えないんだよ。
2:バカにしてるじゃねーか!そんなこと言ったら音楽なんて全部そうじゃないか?つまり井の中の蛙だって言いたいんだろ?
1:そこまでは言わないけど、まず、パンクっていうのは反抗でしょ?
問題なのはなんのための反抗かということだ。相手、社会に対しての反抗であるならば、まさか、大手レコード会社とは契約を組むはずない。で、インディのレーベルの人達はメジャーの人を軽蔑するわけだ。でも、インディの人達はその人達で売れようとするのはワンサカ居る。で、インディでも自分達のやりたいようにやる人は一杯いるわけだけど、そういうパンクは俺は肯定する。だけど、本当に自分のやりたいようにやってる人達はパンクとかハードコアの枠組みのなかには居ないと思う。
2:はいはい、でも自分のやりたいようにやってるってことはパンクとかハードコアとかやってもいいじゃん。
1:ああ、言いたいことがズれた。つまりは、反抗というのは保身行為なんだよ。赤ちゃんが泣くのと一緒なんだ。破壊だ殺すだなんだって言ったって言うよりかは実行した方がいいわけでしょ?
2:危ないこと言うなあ。
1:つまり自分を抑えるために、そういうこと叫んでるわけだ。だから、そんなこと歌ってる人達だってバカじゃないんだから、自覚してて、そうなると「好きな人同士でやってるんだからいいじゃん」ということになる。つまり「破壊」だの「死」だの「自殺」だの暗い言葉なんぼ、並べたところで井の中の蛙。社会に反抗するつもりなんかサラサラなく、反抗というファッションだけが残る。
2:でもパンクでも前向きに社会に対して反抗している歌詞を歌うような人達は居るよ。
1:ああ、別にどーでもいいけど、なんだか、戦前のプロレタリア文学みたいだね。音楽自体が反抗的じゃないんだ。でも、反抗ってのは究極的に
2:究極的が好きだね
1:うん、反抗とか否定ってのは保身行動なんだ。どんなに自分を破壊しようとしてもね。んで、ヒップホップもパンクもアバンギャルドも全部同じだ。全部、それはそれ、これはこれってスッポリと収められてるんだ。
2:じゃあ、最大の反抗の行為は?
1:実社会で反抗的行動をすることじゃないの?反抗に拘らなくてもいいでしょ。つまり自分が楽しめる音楽をやればいいんだと思う。
2:えっ?
1:みんなが楽しめるような音楽、純粋なリズム、殆ど意味のない歌詞、気持ちよくなるためだけの、それ以上でも以下でもない音楽。
2:そこで、ガムランとかが出てくるわけですか。
1:いや、う〜ん。
- 2007/07/25(水) 13:03:16|
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健康診断の結果、去年は両目とも1.2だったのが0.4、0.2になった。
そして、体脂肪率が平均よりちょっと、減っていて、自覚症状があるなら病院行けと書かれていた。ふつふつふつ、健康診断した日は突然、肥料撒きをやらなくてはいけなかった日で、クソまみれになりながら(大袈裟)クソを運んだりしていた後に、シャワーを浴びて健康診断しに病院まで自転車コキコキしていたから、ご飯喰う暇もなく腹がぐうううっとなって倒れそうだったのだ。多分、そのせいだ。
しかし、自分が眼鏡かけるようになると家族全員眼鏡をかけていることになる。ちなみに、眼鏡が似合いすぎているらしく、眼鏡かけると家族の中で一番眼鏡が似合うそうです。
- 2007/07/24(火) 14:15:57|
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雨の中、自転車を走らせている。当てもなく。何でこんなことを、しているのかと泣き出したくなる、顔面には雨粒が、間断なくぶち当たる。俯きがちに見る場面は人口の光の乱射で、黒細く傘を指したり自分のようにずぶ濡れに なっている人々。そして、ヌクヌクと車に乗って知らんプリしながら水溜まりをぶっかける人。こんな光景はあらゆる人の人生(少なくとも日本人の)の縮図のように彼には思われた。ずっと死ぬまで彷徨い続けるのだ。それだけなら、まだいいが、まるで自分の行き着く先には何かが、待っているようにして、周りになんかは気遣いなく我先にと、俯きがちに常に運動しているのだ。それは、もちろん人数が多ければ多いほど実感されることだ。そう思うと、やり切れなくなって、全身の力が抜け、呼吸が浅くなるような気がした。しかし、それでも、自転車を漕ぐ足は運動し続けているのだっタ。ずぶ濡れなので、あらゆる店に入るのが憚れた。というより、人に会うのが嫌なのダ。人に会う場合に彼は何も持ち合わせていなかった。マクドナルドの笑顔がどうしても、できないのだ。そして、自分が自分のような奴に会ったとして、不快な気分になるのは否めないので、人に対し「人はワカッテクレナイ!!」なんて思うことはなかった。ただ、こうしながら生きればいいと言聞かせ、その次に「でも」となって、「死にたい」と言う友人を思いだし、どうにか踏張れるのだ。その友人に関しては思い出したくもない。ただ、家計がキツくてバイトをやめようにも、やめれないらしく、深夜になるとメールでそのような溜め息が届くのだ。その度に彼は戦慄する。彼はその友人よりなんぼかは裕福であった。と言っても、今のところは自分が働かないでも親に食わしてもらえるという程度だが。つまり「死にたい」は彼にとって「死ね」と言われてるのと同じであり、暴力であり……しかし、死にたいと言われた時に友人のことなど何一つ考えていなかった。こういう場合にヒューマニスチックに振る舞うにはどうすれば良いかということだけ考えていたのだ。そして大体は「疲れてるんだよ」と慰めるだけだった。そして、相手も案外納得してしまうのだ。つまり、友人も相手は誰だって良かったということで、彼は自分が宗教の教祖にでも一時的になったのだ。人は絶望した時に宗教に出会う。それはニヒリズムだったりアナキズムだったり音楽だったりあの人やこの人だったりする。要は好みだ。どれだけ各自のチノウやセンスに
[小話]の続きを読む
- 2007/07/21(土) 01:25:11|
- 創作
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一週間くらい前に、本屋で文芸とかの雑誌の棚を「面白いのないかなぁ〜」と読み漁ってたら、「新現実」という雑誌が置いてあって、何気なく手にとって、ページを開くと、「なんじゃこりゃぁ?」の世界が広がっていた。とにかく、なんでもかんでも(主にアニメとか漫画とか)左翼に繋げたような文章ばっかりで、自分はこういう切り口であーだこーだするのが嫌いなので、殆ど飛ばしていった。(偏見です。偏見)で、ハルヒがドーノコーノという文章があったので、西野さんのblogでちょっとふれられてたなよ思い、一応読んで置かねばと思った。そして読んでみた所(でも3分の一しかよんでないけど)つまり、ハルヒという登場人物は普通のモノには興味がないという事と、この世界は主人公が見てる夢(このアニメを見てる人の夢)だと思うということで、「ああ、なんかこういう文章、以前に見たことあるな〜」と思ったらそれは自分が書いた、まどの作品に対する試論だった。ハルヒは見たことないんですが、多分、まどの作品と決定的に違うのは、まどの作品には攻撃的面白くなさがあるということだと思う。しかし、自分には、そこが面白いのだ。
- 2007/07/15(日) 23:33:37|
- 日記
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自分が、性懲りもなく生きているのを支えてるのはやはり死の意識かもしれない。斉藤さんのマンガみたいだけど、精神が追い詰められてくると「いつかは絶対死ぬ」と自分に言い聞かせる。あまりにも浮ついたようにしか見えない状況に対して沈黙を強いたくなる。だけど、そんなことをしたら、現実は状況はますます、悪くなるばかりだ。だけど、現実を取り返しの付かないようにし、抑揚のない生活を送りたいとも妄想する。
全然、話が変わりますが、通常、作品を読んでいて感じる快感というのは作品に自分の感覚が表現されているということに関してだと思います。それは、何度も前に書いたように陳腐なメッセージなどではありません。で、初期つげ忠男作品に関してもそう言えます。しかし、つげ忠男作品は誰をも肯定しません。書いている筆者自身を否定せんとする勢いです。カタルシスをも否定するのですが、自分の場合カタルシスを否定されること、それ自体に快感を感じました。何故カタルシスを否定するかと言えば作品が自身の状況に密接に繋がってるからだと思います。
自分が肯定も否定もされず(あるいはその逆)、いつまでも、ダラダラと続く意識。
自分が手塚 治虫や他のマンガ大半に感じる「嫌らしさ」というのはその作品に作者が入っているように感じられないことです。まるで、神の視点で書いているようで登場人物はまるで、ただの駒です。ただの、コマが生きたり死んだりしているのを見ているだけです。夏目さんとかは、この駒が生きたり死んだりしている描き方や過程を楽しむ、と言っているように思えます。ちゃんと読んでないんでヘタなこと言えないですが。
一方、つげ忠男に関してですが、誰もが最初に見て解るのはつげ忠男自身が作品に入っているということです。だから、作品はあくまでつげ忠男の主観で構成されていますが、前記したように自身は肯定されてません。ちょっと、極端な言い方ですが、手塚 治虫は客観、神の視点で描いているつもりならば、つげ忠男は自殺するようにして描いているのではないでしょうか?
- 2007/07/11(水) 12:50:52|
- 劇画修行
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椎名 麟三の「永遠なる序章」を前に読んで感動しました。当時はベストセラーになったりしたそうですが、検索してみても殆ど書評とかないですね...この読み安さと真摯さが好きです。でも真摯さを売りにしてるっていう見方もできるしなぁ。椎名 麟三の名前は夜行13で高野さんの羽鳥ヨシュアさんについての文章で知りました。「永遠なる序章」にしても羽鳥ヨシュア作品にしても、虚無の絶望をダンディズムに還元できない(少なくとも他人から見たらかっこよくは見えない)、どうしようもなさとか居心地の悪さの中で生きてきたというのを感じ取ってしまうし、どちらにもなにか「祈り」のようなものを感じるところも、大好きだと言いたい!
んでユイスマンの「さかしま」の表紙絵の顔はルドンの絵だそうです。ルドンはカラーの作品で有名ですが、白黒の版画のほうが好きです。
.............それにしても、「セッション時間が切れました」ってなんだFC2!!今まで書いてた倍ある文章ゼンブパーになっちまったじゃないか!!時間を返せ!!
- 2007/07/04(水) 21:54:31|
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廉価版ということでしょうか?もしかしたら自分が前に書いた日記が関係してるんじゃないかと妄想してます。いや、そんなことはないでしょう...とにかく、この価格であれば手が届きます。北冬書房さんに感謝します。

マウスで描く四コマ漫画
- 2007/07/04(水) 21:30:12|
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最近ブランショに興味持って、「私についてこなかった男」を昨日読了したんですが、やっぱ意味解りません。まず、訳者の方が物語として読むと意味解らないと言っているくらいですから、自分みたいなのが解る筈ありません。(解るという方自分にも解るように教えてください)ただ、書くという行為をここまで、突き詰めて考えた人は居ないんじゃないかとは思いました。んで、ブランショは後期には断章形式に魅かれていくらしいですが、自分も断章形式が好きです。(集中力がないだけ)と言う訳で断片的に雑感書きます。
■あと興味あるものといえばアートアニメです
http://www.geneon-ent.co.jp/anime/NAA/index.htmlしかし自分にとってはかなりの高額......そのためになにか一つに絞らねばならない.....ノルシュテインの作品はyoutubeで見れます。で、今見てるんだけどやっぱイイ!!なんか今の若い日本人の人が作るのはマンガとかオシャレっぽい雰囲気出してそうな気がするのであまり興味ない(かなりの偏見)手塚治虫作品事態、あってもなくてもどっちでもよかったんじゃないかと思うくらいですからね。
■ガロ1972年9月号を買う。没作品を一ページだけ載せるコーナーで湊谷夢吉「惜夏期」が載っていた。表紙が単行本に載っているのと違っている。あと安部慎一特集で色々な方が安部慎一について語っているけど、やっぱあの時代の空気って嫌だな〜と思った。んでも自分がなんにも考えないで書いてる日記と文体が似ているんで人のことは言えないですが。
■なんか色々書こうと思ったんですがやめます。なんか、人生も文章も恥曝しです。「それがなにになるの?」という真っ当な声がいつでも聞こえてきます。しかし、それは「生きててなにになるの?」という声に聞こえてkます。というか、テレビや雑誌やネットなんかでは有名人(サブカルの誰かだってアイドルと一緒だ!!)が不倫しただの振られただのあいつは変態だの言ってマンガの出来事みたいに面白がって暇つぶししてますが、薄っぺらな紙のストーリーのことを本当のことのように興奮したりして暇つぶししてますが、あれですよね、結局は何も考えないで没頭できる時間が気持ちいいだけのような気がします。現実の世界で没頭してたら殺人事件になっちゃいますからね。お酒は二十歳になってから。
- 2007/07/02(月) 17:17:16|
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