虚無の会

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作家 ざっくばらんに雑感

 いひひひひひひひひひひひひひひひひ、どうも。(←この「ひ」をキーボードで無表情でhi,hi,hiと連打する奴の姿を思い浮かべてみよう。) [作家 ざっくばらんに雑感]の続きを読む
  1. 2008/08/21(木) 07:11:51|
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正直な感慨(正直なことにどれだけ価値がある)  近況

 現代資本主義ニヒリズムと仏教的ニヒリズムは一体なにが違うんだろうか。



 もう本っ当に、このブログやミキシイでは同じ言葉を繰り返しています。はっきり言って金太郎飴です。金太郎飴とでもいうブログ名にでもしようかと考えているくらいです。何一つ解決できた感がなく、掻き毟るばかりです。

 そういうところで、ヘラヘラした感じになれないので、ヘラヘラした人を見るとむかつきます。(自分でなってないと思いこんでるだけで、ヘラヘラしてんのかもしれないけど) 

 そんなことはどうでもいいのですが、矛盾や疑問が沸々と次から次へと姿形を変えて沸いてきます。言葉を代えて出てくる言葉の意味は「どうしようもない」という意味でしかなく、それは自分がどうしようもない人間だからなのですが「どうしようもない」ことを「あーでもない、こーでもない」と繰り返すのが自分のここのところの循環的思考方法です。 

 あらゆる問題に最終的解決はない。が、なにか自分のやるべきことに対するバックボーンが少しでもなければなにもやる気になれない小心者です。はっきりいってアナキズムでもなんでも思想や哲学、宗教なんてものはなんの解決策にもなりえなく(まったくちょっとしか読んでないけど)、この現代の現状を前にしてなんの説得力もない。というのが正直なところです。けれどもそれでいいんだ、と諦められないからこうしてワルアガキをして、やはり自分が思想のなかでもっともよいと思うのはアナキズムだし、本も役に立つのかどうかも解らないで齧り読みを続けています。しかし、まったく自分は言葉も表現も信じられなくなっている状況です。信じられることがなにもない、という状況で一体なにを書くことができるだろうか? 

 自分の結論は結論らしからぬ結論です。つまり、答えは簡単、どうしようもないということを書くしかないという結論に至りました。無責任ながら、「…すべきだ」とか「…のために」とかいうことを書く気は毛頭ありません。疑問を書くだけです。皆や、自分さえもが「しょうがない」と諦めることを徹底的に描写することです。その疑問をどれだけ書ききり定着させられるかが、努力すべき点である。
 



 (ここからは日記を)
 最近はもう本当に孤独でやり切れません。こうやって文章書いたりしてないと自意識がなくなっておかしくなりそうです。
 なにか話し合っても孤独には変わりないかもしれないが…。

生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり

持つだけの郵便ポスト…。
  

それはともかくこのブログではここ暫くはまた同じような文章を続けていくことになりそうです。
  1. 2008/08/06(水) 00:16:14|
  2. 日記
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事実の共有

 幼い青年らしい正義感や反抗心も、悟りきったような老年の無言もすべて一緒である。ちょっとした調整があるかないかだけだろう。 起こってしまった、起こってしまう出来事に既に参加させられてる。肉とか骨の摺り合いの振動があるだけだ。
 
 
  1. 2008/07/16(水) 14:25:52|
  2. 日記
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 大量に、まどのさんから大正のアナキスト・ニヒリストの文献を送ってもらいました。ありがとうございます!これから読んで図書館で色々借りて、「虚無の会」の内容を充実させたいと思ってます。(もちろん、走馬燈のほうの記事のアイディアも着実に進行しております!)

 高橋 和巳の「憂鬱なる党派」、読み始めたら止まらなくて100ページくらい一気に読む。「邪宗門」「堕落」に比べると随分読みやすいような…、気のせいか?
 高橋和巳の奥さん、高橋たか子著の「高橋和巳の思い出」で、高橋和巳がカトリック系作家のジュリアン・グリーンを愛読していたことを知り、そのグリーンの作品を2作ぐらい読んだことがあるけど、どれも湿っぽくただただ暗かった…。高橋 和巳の小説は当時も(埴谷からさえも)ユーモアが足りないとか言われてたような気がするが、その暗さは仏教的というよりキリスト教的な気がする。気がするだけですが。

 



R.Dレイン「わが半生」の「3.大学生活」から

「解剖学の講義でハミルトンは、教材として、間接の動きや、消化管の動き、蠕動などを示す身体のX線撮影映画を私たちに見せた。その映画は他に類のないユニークなものだった。願わくは今もそうであってほしい。と言うのも、このように長時間X線に身体がさらされていると、広い範囲にわたってX線による火傷や組織の破壊が起こり、人間という実験動物がすぐさまこの災害から救い出されない限り、苦悶のうちに死ぬ結果になってしまうからだ。私たちが見せられたのは、ナチスがユダヤ人を対象にして行なった実験の記録映画で、第二次大戦の終わりにイギリス軍に押収され、その後は教材として使われていたのである。
 スクリーンに映し出されていることの意味が心にピンとくるまで少し時間がかかった。私はその映写を一回しか見なかった。それだけで、ジョン・オウエンズという友人と教室を出てしまった。二百人あまりの他の学生は坐ったまま、興味深げに映画を見つづけていた。オウエンズと私は胸がむかつき、憤慨していた。ハミルトン教授のところへ、二人で行って、訴えた。「わたしたちは人間が焼き殺されるところを見せられているんです!どうしてあれを教材に使ったりするんですか」
 「うん、分かってるよ。きみたちの言う通りだ。しかし、あれは得がたいユニークな教材なんだ。あれを使わなかったら、あの人たちの死は犬死になってしまう」」

 

  1. 2008/06/03(火) 15:20:00|
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謝罪文dada

 薄々気づいたことが、今に来て(予兆)、ダメになると思った瞬間(予兆)にだめに、目の当たりにしてしまって(対峙)、頭がグラグラして(興奮)、終わりにならないかな、終わりにならないだろうな、まだだめだろうな、もうちょっとだ、と思ったらまたミスして(諦めと努力と諦めと努力の巡回)

何故、一つのミスで「これだから俺はだめなんだ」、全否定されたような気になるののか。笑いながら慣れ「るしかない」「もっ「と辛いヒトタチダッテイルンダカラ」だ

 口にする言葉は「すいません」でも「もう嫌だ」、「有難うございます」でも「もう嫌だ」だ。

日々が言うのは「なにが嫌なのか」 俺がいうのは「嫌だから嫌だ」

日々生きるための研究者は何故、嫌なのかを纏めてテレビで放送する。俺がいうのは「嫌だから嫌」

死にたいのか「もう嫌だ」生きたいのか「もう嫌だ」 

誰かが日々と和解するために笑ってる。誰かが日々と和解するためにパンとおにぎりカップラーメンを販売、流通、食ってクソして寝て朝しごと。
酒と歌謡曲がダメになりそうな人の薬になる。

子供がオモチャを買ってもらえないで泣き叫ぶ。

誰かが文句を言っている。


解ったことは、言葉のための言葉。明日のための今日。誰かの代わりの私。




社会的関係(家族、仕事、)に還元されない関係などがあるだろうか。そんなものがあったとして、それは反社会的だ。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

  1. 2008/04/21(月) 21:24:53|
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受け継がれる歴史

 先祖は次の世代に受け継ぐべきものを残し、無駄なものは一切排除した。その繰り返しが何回も続いた。性交を繰り返し成功させた者たちだ。もちろん、生き残ったものたちは強い者達なのだが、慰み程度に弱い者たちに対して可哀想だと思う気持ちは捨てなかった。何故なら、それが強い者の証であり、いつでも強い者は弱い者を利用するのであったから、なんの利害もない憐れむ気持ちは強い者たちへの格好の薬となる。

 あるいは、そんな憐れむ者たちに対し「そんなものでは物足りない」といって、終始弱い者を忘れずに居ようという宗派、薬局が生まれた。注目したいのは、弱い者たちを知らしめるために自分たちもその者たちに出来る限り境遇を近づけようとしたことだ。もしくはもとから一緒だったかもしれない。滑稽なことに自分自身の驕りからAがAを哀れんでいたということでしかなかったかもしれない。そんな者たちであるから皆自分自身のなかでは強いものたちであった。


 何代目かにあたる者が路上でゲロを吐いた。内臓までもを吐き出してしまった。その果てには口を媒介にして体が裏返された。つまり、傍から見ればその人の中身がすべて見えるということだ。その人の歴史が繰り出されたのである。その姿はグロテスクその物である。

 周りの者たちもその姿を見てゲロを吐かずにはいられなかった。そしてまた同じような格好になるのである。

 その自分のエロ…ではなくゲロを見れるのは吐いたときの一瞬だけである。そしてたちまちに、眼のまえは内臓の皮に覆い尽くされて真っ暗闇になる。

 
これは寓話でもなければ比喩でもない。事実だ。

「おまえのなかだけでの事実だ」という人が居るかもしれない。しかし、本当の事実などというものは一体誰の口が決めるのか。おまえの事実やおまえの事実がそれこそゲロとしてあるばかりではないのか。 
  1. 2008/04/07(月) 13:35:00|
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ふみきり

 自転車に乗り夕焼けが広がって山沿いにできている図書館は休館日だった。仕方がないので来た道を戻った。
その図書館のすぐ近くの踏み切りの近くまで来るとカンカンカンと鳴った。踏み切りの前の棒が下がってそのまえで自転車を止めた。

 自転車が止まった傍のところで、なにかがうごめいていて、びっくりしてよく見ると老婆が踏み切りのコンクリートの間から咲いている草花に水をかけていた。

 電車が前方から見えて来た。「このばあちゃんは、近所の人でいつも水をかけているに違いない。つまり、水をかけている途中に電車が来るなんていうのは日常茶飯事だろう。ここで自分が「危ないですよ!」なんて声をかけたら「んなもん知ってんだよバカにすんじゃねぇここに何年住んでっと思ってんだ」と感じるに違いない。いや…」と観念の自家中毒をしている間にも電車は近づいてくる。

人はネタか

その瞬間に自転車は「車掌のほうがどいてほしいだろう」という結論に達し、「ちょっと下がったほうがいいんじゃないですか」と言ったら、老婆はこちらを見上げ「そうだね」と言って退いた。 [ふみきり]の続きを読む
  1. 2008/04/06(日) 23:21:41|
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プロフィール

夜業 タダシ

Author:夜業 タダシ
社会不適合者。

オケラ舎から「走馬燈」準備号、発売中!マンガ雑誌です。北冬書房、タコシェ、模索舎に置いてもらってます。
連絡は inngoudrgbaik@hotmail.co.jp まで。

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